2025/09/16
宇宙飛行士であり米国上院議員のジョン・グレン(John Glenn)が所有していた2本の腕時計が出品される。
ブライトリングのコスモノート Ref.809 “スコット・カーペンター”モデルと、ジャガー・ルクルトをカスタムオーダーしたRef.3027 “ラッキー13”ウォッチである。どちらの時計も、2018年3月にグレンの個人資産の遺品整理セールで購入されたものだ。HODINKEEの寄稿者であるジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏は同オークションで3本の時計を購入した。この記事では、売却の背景、ジョン・グレンの時計をどのように追跡したか、またその追跡がどのようにしてNASAの7人の初代マーキュリー宇宙飛行士に支給されたか、これまで知られていなかった時計の発見にどのようにつながったのか、販売の裏話を語っている。
フィリップスの“Game Changers”オークション、ロット14である、ブライトリングのコスモノート Ref.809。
同オークションのロット13は、珍しいルクルト ラッキー13 ウォッチ。同じくジョン・グレンの遺品である。
アメリカ東部時間帯に住む時計コレクターにとって、朝は1日のなかで最もエキサイティングな時間である。私のスマホ画面が5時30分か6時に目を覚ます頃には、ヨーロッパとアジアの“時計仲間”がチャットをしている。ウェブサイトの多くで新しい時計が売りに出されるし、時計の世界ではいくつかのニュース速報が届く。最高の日には、UPSまたはFedExから荷物が日中に配達されるというアップデートもある。チャットは1日中続くが、議題は通常、最初の数時間で形成される。
2018年3月8日(木)の深夜、私は友人から簡潔なメッセージを受け取った。“これは一体何なんだ?”。彼はInstagramの“Watchknut”というアカウント のスクリーンショットを添付し、ブライトリングのコスモノートのクロノグラフがジョン・グレンの遺品整理(エステート)セールで売却されたことに言及した。彼のInstagramの友人のなかに、この時計を買った人がいるかどうかを尋ねた。Instagramに投稿された画像には4本の腕時計が写っており、黒くて大きなコスモノートはほかの3つを圧倒していた。その投稿のコメントは答えよりも質問のほうが多かった。なぜジョン・グレンの遺品整理セールのことを誰も知らなかったのか? オークションはどこでやっていたのか? オンラインまたは電話入札で時計を購入できるか? そのすべての答えは“まったく知らなかった”。
私がすぐに感じたのは、珍しいものや古いもの、たぐいまれな宝石がほとんどの場合、2度と見ることができないまま消えていくのを目の当たりにしてトラウマに苦しむ人たち特有の、胸が張り裂けるような痛みだった。私は1962年からジョン・グレン大佐のファンであり、2006年以来、彼の時計に興味を持っている。スコット・カーペンター(Scott Carpenter)が宇宙で着用したこのスペシャルなブライトリング・コスモノートは、数年前から私の“最も欲しいもの”リストのトップにいた。
ジョン・グレンのブライトリング コスモノート Ref.809。
ジョン・グレンの3本もの腕時計が、私の耳に入ることなく遺品整理セールに提供されるはずがない。通常のディスカッションフォーラムやソーシャルメディアをチェックすると、その遺品整理セールは時計収集コミュニティ全体のレーダーの下にあったようだった。最も厄介なのは、地元のセール業者である“ピッカー”たちが、その時計を持ってグレン・ハウスから出て行く姿を思い浮かべたことだった。
クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもない。ただ地元のエステートセール会社が、まるで彼が普通の人であるかのようにジョン・グレンの遺品を売却したのだ
私の怒りはすぐに調査へと変わった。Googleで検索したところ、 グレーター・ワシントン・エステート・セール・サービス(Greater Washington Estate Sale Services)という会社が、3月8日(木)から3月11日(日)まで、ジョン・グレンの遺品を売却していることを確認した。そこはアトランタにある私のオフィスから、641マイル離れたメリーランド州ポトマックにあるグレン旧邸宅で開催されていた。
メリーランド州ポトマックにある、彼のかつての自宅で所持品のエステートセールが展示された。Photographs courtesy of Greater Washington Estate Services.
クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもなく、検索も閲覧もできなかった。ニューヨーク・タイムズ誌にプレスリリースや全面広告も掲載されていない。ただ地元ワシントンD.C.のエステートセール会社が、ジョン・グレンが以前住んでいた家にあった遺品を、まるで彼が普通の人であるかのように売却したのだ。
グレーター・ワシントン・エステート・サービスのウェブサイトに掲載された、ジョン・グレンコレクションの時計の写真。Photograph courtesy of Greater Washington Estate Services.
EstateSales.netのページには263枚の小さな写真が掲載されていて、それを見ると何千もの遺品が販売されていることがわかる。グレンが海兵隊にいたときに着ていた革のフライトジャケットと、宇宙服を着た“ボンゴ”という名前の2体のビーニー・ベイビー人形もあった。またクリスタルからコロン、庭の道具、カフスボタンまで、セール品は日用アイテムでいっぱいだった。グレンが宇宙飛行士として、また米国上院議員として受け取った何百もの贈り物も見受けられた。そしてそのなかに、8本の腕時計が載ったトレイがあった。
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ミッキーかウィリーか
グレンの私物の写真をめくっていると、1960年にタイムスリップした。当時の子どもたちは、スポーツチームやアスリート、ミュージシャンを応援するのと同じように、マーキュリーの宇宙飛行士を応援していた。ミッキー・マントル(Mickey Mantle)かウィリー・メイズ(Willie Mays)、ドジャースかジャイアンツ、フォードかシボレーのそれぞれのペアから、子どもはひとつ(そしてひとりだけ)を応援することができたのだ。そこにジョン、ポール、ジョージ、リンゴも加わり、友人らも自分のお気に入りを宣言していた。
マーキュリーセブンの宇宙飛行士。左から カーペンター、クーパー(Cooper)、グレン、グリソム(Grissom)、シラー(Schirra)、シェパード(Shepard)、スレイトン(Slayton)。
マーキュリーセブンの宇宙飛行士もそうだ。彼らの名前であるふたつのC(カーペンターとクーパー)、ふたつのG(グレンとグリソム)、そして3つのS(シラーとシェパードとスレイトン)は今でも私の心に刻まれている。海軍、空軍、海兵隊など、自身が所属していた兵科に基づいてお気に入りを選ぶ友人もいた。メディアは彼らの笑顔、ウィットさ、そしてもちろん妻たちの姿を見せてくれた。
ジョン・グレンは第2次世界大戦と朝鮮戦争で、6つの殊勲十字章を受章した。
ジョン・グレン大佐は、マーキュリーセブンのなかで最も好きな人物だった。彼は7人のなかで唯一の海兵隊員である。第2次世界大戦と朝鮮戦争で飛行し、6回の殊勲飛行十字章を受章している。1957年、彼は平均超音速で初の大陸横断飛行を達成した。1962年2月にアメリカ人として初めて地球周回軌道に乗ったことで、祖国にとって非常に重要な英雄となったため、彼が遭難するのを恐れてジェミニやアポロでの2度目の飛行は許されなかった。
私はマーキュリーの宇宙飛行士のことを思い出したが、すぐに目の前の仕事に戻った。残っている7本の時計の写真を見ながら、自分が欲しいと思う時計があるかどうか、これらの時計のひとつを購入することができるかどうかを考えた。
7本の時計を特定するのは簡単なことだった。1940年代か1950年代のハミルトンで、“時刻表示のみ”のミリタリースタイルウォッチが2本。ルクルトの時計が2本で、ひとつは24時間表示の文字盤、もうひとつは各時刻に“13”と記された文字盤。1960年代半ば製のブローバ 2レジスター クロノグラフ。そしてプラスチック製のセイコー パルスメータークロノグラフに、金メッキのエルメス ワールドタイム懐中時計だ(このセールには、ペンダントウォッチやアニメのキャラクターウォッチなど、いくつかの地金製時計も含まれていた)。想像上“何を選ぶか”について、そう時間はかからなかった。